昭和43年11月11日
X 御理解第88節
昔から親が鏡を持たせて嫁入りをさせるのは顔をきれいにするばかりではない、心に辛い悲しいと思う時鏡を立て悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよと言うことである。
辛い悲しいと思う時、鏡を立てて、…自分が、この様な悲しい顔をしておる、自分がこんなに腹立たしい顔をしておる、これでは周囲の者に対しても、良いもの(印象)を与える事も出来ない。又そこから良いものが生まれてくるはずもない…ネ
この悲しい事やら、辛い事がどこから来るのか、鏡を立てて自分の顔をつくずくながめさせていただくところから、信心をさせて頂く者は、その鏡がいわば教えの鏡と言うことになってくる。
そこに相済まんとか有難うございますとか、と言うようなものにかえられていく、そこから私は家を治めよと、こうおっしゃるのは、そこから私は、本当の家が治まってくると、こう思うのです。
唯、辛い顔やら悲しい顔やらを見せてはならん、ね
言うなら心に泣いて、顔にどんなに笑いを浮かべておっても、そう言う作り笑いでは、家は治らんと私は思う。
そこで私共は特に、これは、これから嫁入りをしようとする娘さんに対する御理解でしようけれども、ネ これは娘さんだけではありません。私共各々が、ここんところを頂かなければならないところ、ネ ましてや、全然、甲の家から乙の家に行くのでございますから、家風も違う、人情人柄といったようなものも又変わる。
それが遠方でゝもあると、あの…違和感と申しましょうかね、違は異なる、和は平和の和、ネ 感、…土地が変わるだけでも、そこに人柄が変わる、と 例えば東北あたりと鹿児島あたりと言うたら全然人柄が違うように見える。
言葉が違うと言うだけでなく習慣が違うと言うだけでなくて、その様な中にですね、嫁入りをしていくのでありますから、仲々そこにとけ込むと言うことは非常に嬉しい事である。
そこで、お互いが信心させて頂く者は、私は最近若い女性の方達に言うんですけれども、折角信心を頂くのであるから、ここ迄は頂いときなさいよ、ネ こゝんところ迄は分かっておきなさいよ、と言うんです。…ネ言うならば、「我よしと思う心を仇として、夜毎日毎に闘いてゆけ」?「我よしと思う心を仇として闘いてゆけ、日毎夜毎に」と甘木の初代が教えてありますが、どの様な場合でも、自分が良いのに、相手が悪い…のじゃない、我よしと思う心が、その時起こってきたならば、腹が立った時には我よしとおもうとる証拠、だから自分と言うものを本気で見極めさして頂くと言う、その見極めさせて頂く、そこんところを信心で頂かしてもらえるところまでは頂いておかにゃいけん。…と言う風に申しますんですけどねえ。
昨夜、お月次祭が終わりましてから、茶の間に下がらしてもらいましたら、丁度テレビで何処からでしょうか、京都の‐御園(みその)?…とか言っておりましたねえー,東西合同の、いわゆる大歌舞伎ですねえ、いわゆるもう本当に名人ばかりの歌舞伎があっておりました。お芝居があっておりました。
東京からは、松緑、梅幸、光五郎、もう本当に日本一の役者ばかり、大型ばかりですネ、上方の方からは、雁治郎、扇雀父子、が出ておる。もう本当の名舞台である。丁度それが始まったばかりのところえ…すネ私は、お祭りを済んであちらえ下がらせてもらった。 久し振りで堪能さして頂いた訳ですけれども、うーん、素晴らしいなあと、日本一ばかりが集まってする芝居なのですから、もう実に素晴らしい。
これは、東京の芝居と大阪の芝居は、もう全然質がちがうんです。大阪の芝居のこってりとした味わいがあるのに、東京のさっぱりした味わいと言うのが芝居にもハッキリ表れてくるのです。そのサッパリしたのと、こってりしたのがネ、一諸になってもう、それはもうなんともいえん、その雰囲気がかもし出されてくる。
嫩軍記(ふたばぐんき、一の谷嫩軍記)ですね、あの熊谷陣屋の段でした。もう本当に、それは、もう何回見たか分らん程に、沢山見たお芝居ですけれども、その名人達がそこに織り成していくその雰囲気と言うか、お芝居の味わいと言うか、もう何とも言えんその味わいの中に、見せて頂いた訳ですけれどもネ。
だから、もう日本一名人と言うような人があつまりますとね、どんなに、それは大阪と東京と異質なものであっても、そこに、思想の者が異なっておっても、もう、いや、むしろそこになんとも言えん味わいが出てくるもんだと言うことです。ネ
ま、これは、例えば、私共大坪家の事で申しましても、家内は鶴谷と言う家から出ております。鶴谷家と大坪家と言うのは、もう全然、本当に赤と白程に違うのですよ、家風と言うのは。
初めの間は、どうしても具合よういかんのですよネ、私共が夕食を終わって、信心話やら、ま、色々なお話をもう、一生懸命親子兄弟、寄って話をしよるとですネ、いつの間にか家内がいなくなるんですよ。
あら、五十枝さんはどこさえ行っちゃったな、ち、もう母が言うんです。どこさえ行ったじゃろうか、…ちゃあんと二階さえあがってから、一人でちゃあんとこう部屋に居るんですよ。…ネ
そして、それをですね、私は家内に聞きますとです、なにかですねもう、あんまり、そのお喋りをしておる雰囲気の中には、もう、嫌だと言う訳なんです。…ネ
ですから、そのグル-プからはずれて、他ん所に入って、自分一人つくねんと、こうやっておる。と言うて呼びに行って、さあ、ここに居れと言うたって出来ないのですけれども、さあ、それが、何時の間にか、こう同質なものになっておる。……ネ
「花が散る時蝶が死ぬ」、なんか、あんな唄がありますでしょう、ネ花と蝶と言うのは全然異質なものだけれども、蝶の命と花の命とが一つになる、ネ、そこに私は信心の言うならば、………?によってそこのところが頂けていくところのおかげ、
私がまだ、お商売をさして頂いている時、私が他所から帰ってくると、丁度椛目で昔はあのキップをバスのキップを売っていましたからね、お客さんで…?母に、あのお宅の御養子は、いつも見えんが、何処か、勤めかなんかしちゃるとですかち言うてから、聞きよんなさった事がある。
母と家内の間がですね、本当の親子の様に見えたんでしょうね、その人には、姑やら親やら、嫁やら娘やら、分からないものがそこから生れてきた。…ネ
例えば、ここでは佐田さんなんかそんな感じがしますですねえ、本当に佐田さんなんか養子さんのごたるです、…ネ ただ中野と言うお酒屋さんの娘さん、ネ、佐田与と言うお店の息子さん、全然酒屋と乾物屋で違うのですけれども、ネ それが、嫁やら姑やら分からないと言う様な所まで高められておる、
そこにですね、「家を治めよ」と言うことは、そこからしか生れてこない、唯お互いが辛抱し合っておると言うだけではいけない。今日、私は、四時過ぎから文化ホ-ルで、お芝居があります、そのご招待を受けております。
誰か三人行って下さるでしょうが、それは、あの、歌舞伎では有りませんけれども、新国劇が来ているそうです。辰巳柳太郎、島田正吾あたりのお芝居でした。
私は、このお芝居を以前にみてから、たまがったことはですね、もう、それあもう、驚くばかりです。そのチ-ムワ-クのとれておる事は、例えて言うなら、いわゆる剣劇のお芝居ですからネ、
それを十五人なら十五人の者が、こう、チャンチャンバラバラをやるでしょう、そんとき、(す-…)?でしょう。ネ それが十五人なら十五人の者がですね、一時に刀を抜いて、一時に刀を収めますよ、も、カチッと音がすると、皆-んなが、何時の間に刀を収めたか分らん様な素晴らしい、そのタイミングというんでしょうかね、そのお芝居の見事さ、見事さ、もう唯々驚くばかりです。
そして主役だけじゃない、端々の端役に至るまでゝす、もう、それこそ、もう一分の隙も無いような、お芝居を見せて呉ますですね、新国劇は、…ネ と例えば、昨夜見ました東京と大阪の合同歌舞伎が、ネ 日本一ばっかりと言われる様な役者が集まって、そこにかもす味わいは、同じ様なものがそこに感じられる。…ネ
ですから、どんなに質が違ってもね、お互い信心というものが段々向上し高めらて参ります時に、例えば、んなら合楽と甘木、
此の頃、少年少女会の幹部の人達が五名か六名かで、一晩泊りであちらへ甘木の方へ参りました。そしてあちらで、何処かの先生がみえて教育があった。
本当に甘木と合楽と言うたら確かに同じ金光教の中にあってんも異質なものを感じます、在り方が違うのです。ネ それは、あの平田さんと私と言うてもいゝ、全然知らない、一緒に会わない時には合楽は間違うとると言いよんなさったに違いない。
私共も平田さんの信心どうこうと思った事があるけれども、実際ここに寄って話してみるとです、「はあ、もう合楽の生き方でなからにやいかんと」この頃、御大祭の時、先生方に平田さんが言っておられました。「これからの金光教の信心は、この合楽の生き方じゃなければいけませんばい」と言いよんなさいます。…ネ
此の頃の少年少女会でもそうです。帰ってまいりましてからですね、言うなら甘木と合楽と言うたら、まあ何かこう変な雰囲気がある、ネ こちらからは行っても、向こうからは来んぞと言ったような雰囲気があった。いくらご案内しても記念祭だからと言って、お初穂ひとつことずけてきません、甘木からは、けれども実際に寄ってみてですね、
結局、あの少年少女会が帰って来てからどう言うかと言うと、甘木の少年少女会とが一番仲ようでけたというております。今でも手紙のやりとりをしておる。…ネ
それは甘木は甘木なりに日本一と言われる程の信心、合楽も言うならば日本一を目指してからの信心、そういうものが相寄るところに、そこには、もう、一つも違和感というものが、全然無かったと言うこと。…ネ
ですから、そこに本当に、お互いが目指すところを、焦点がですね、同じである焦点に、いわゆる、「信心とは吾心が神に向かうのを信心と言うのじゃ」と言う様なところに、焦点を置いての信心であれば、その生き方は違っておっても、そこには、それこそ、もう水も漏らさん程のものが、そこから、醸し出されて来、その味わいが生れて来るのである。…ネ
どうも、あの人は性が合わんとか、言うような事があってよかろうはずがないのですね。… お互い信心をせっかくさせて頂くのでございますから、目指す所を高い所に置かなければいけません。ネ
そして、それは夫々の個性、性質と申しましょうか、ネ 違うのですけれども、目指す所は、高い所に置いてあれば、お陰を受けられる、いわゆる新国劇に見るそれであり、ネ 東西合同の大歌舞伎を見て感じた、それと同じ様なものがです、私共の家庭に又は職場に頂けていく。ネ
そこで私共がです、まだまだ心に辛いを感じたり悲しいを感じたり、腹立しさを感じるところに、まあだ自分の信心の未熟さを私は知らなければいけません、ネ 自分の信心の小さい事を悟らにゃいけません。ネ
そして、教えの鏡を、そこに立てさしてもろうて、これではならんと言う修業がなされていくところに、家を治めよと言うて居られますようにです。家が治まるだけではない、自分の心が治まって、家が治まりネ 自分の、それぞれの御用の現場に於てです、楽しい職場がネ、有難い雰囲気が、私の周囲に出来て来る様なお陰を、願わしてもらいたいと私は思う。…ネ
所が仲々そう言う訳にはいかん、自分の職場にでも、あれがおるなら、もう仕事はしょうごつなかと言うのがおるとするか、ネ そう言うときにはです、教えの鏡を立てゝ、自分の本当に信心の未熟さと言うものを、悟らしてもろうて、家を治めていくネ 精進がなされなければならない。
ここの八十八節の御教えの所では、人に辛い顔やら、悲しい顔やらを見せぬようして、家を治めていけとおっしゃるのは、唯そこに、長いものには、まかれろネ 又は辛かっても悲しかっても、それを表面にごまかして、心じゃ泣きよっちゃ、顔ではニコニコして、治めよと言うのじゃない。
そう言う顔を、本当に人に見せんで済む内容、ネ 悲しいとか苦しいとか辛いとかと言うそれがです、ネ はあ、ここは悲しむ段じゃなかたい、かえってお礼を申し上げならんところたい。
こゝに辛いてんなんてん修業精神の欠けてている証拠と言うふうに思わせて頂いて、結構な修業させて頂いて有難うございましたと言う様な事になってくるところから、…ネ 自分の心が治まってくる。
同時に、そこから全ての事が治まって来る、必ず家庭の中でゝす、…ネ 自分の性質と同じ様なものに、皆をしようと言う考えは、先ず捨てなければいけません、ネ それぞれの者があっていゝのです。 …ネ
御広前でも同じ事、秋永先生あってよし、久富先生あってよし、ネ それでいて、やはり、その違和感のない、雰囲気が御広前に出来てくる、私は思うのですよ、ネ 例えば、今、あの、森 和子さんからネ、何時もハガキが来る時に、
合楽の親先生と、大阪の泉尾の教会の先生と一辺会うて頂きたい、一辺そう言う仲をとりもたせて頂く御用をさしてもらいたい、あちらの書物を、こちらへ送ってくる、こちらから送るところの書物やら新聞やらを、あちらの親先生に見て頂く。
ところが、実を言うたら、実に、ま、おそらく、私の事も、そう言う話し合うけれども、私の生き方と違う、そんな感じがする。けれども実際にもし本当にです、………………?なんにいたしましてもです、一諸に会うて、あちらの三宅先生ですけれど、三宅先生と私とが一諸に会うたらです、ネ いやあ、合楽は素晴らしい、いやあ、泉尾は素晴らしい、と言うことになってくるのではないかと私は、こう思う。
私と平田さんがそうであった。私は、まあだ甘木の親先生と言う人は、陰では見るけれども、まあだ向こうも、ハッキリと私を大坪と言う事を知ってはおられんとおもう。もし、チャンスがあって、ネ その向こうの大先生と言う方と私とがです、一諸に会って、まあ同じ席に座って信心話でも、するごとなったら、さすがに甘木だと、さすがに合楽だと、お互いが、こう何かしらんけれども惚れ合う様なものを、感ずるだろうとこう思う。
それは目指す所が高遠な所に置いてあるだけでなく、ネ お互いが、「心が神に向かうのを」と言った所に焦点を置いて信心の稽古をさせて頂いておるから、そうであろうと私は思うのです。ネ
ですから触れるたんびに、いわば、何かいよいよ水と油と言った様なものでなくてですね、触れ合うたんびに甘木と合楽と言う中に、何とも言えん味わいが子供たちの上に迄表れてくる、
ところが相手が程度が低いとしましょうか、こちらの程度が低いとしましょうか、いくら努力しても努力しても一諸になれない。これは、もう不思議です。
もう、どんなに努力してもです、努力しても、そん時は、如何にも、よかごとありますけれども、その、問題で又おかしい事になってくる。
それは、どちらかが低いからです、ネ いわゆる、「信心とは我心が神に向かうのを信心と言うのじゃ」、と言う様な所に焦点を置いていないからです。
ですから、私共の例えば、人間関係の上におきましても、どの様な問題が有りましてもです、ネ 或る場合には、意見が対立する様な事があるけれども、お互い高度な所に信心の目指しが置いてあるならばです、ネ 必ず融ける。私は、こう確信する。
「家を治めよ」と言われても、ネ 唯、こってりとも言わんと言うだけじゃいかん、信心で言うのは、…場合によっては、しっちゃんがっちゃん言うてもよいけれども、ネ それが、本当に、心と心とが拝み合うていけれる雰囲気と言うか、ネ 嫁は姑を、姑は嫁を拝まして頂いていく様なお陰。
そこに初めて「家を治めよ」とおっしゃる、家が治まって行くところのお陰、が頂けるのだと私は思うのです。ネ
唯、事なかれ主義にです、お互いが、唯、辛抱しおうていくと言う様な事ではいけません。ネ そして改めて、この八十八節を、成る程、此れは嫁入る前の娘さんに対するだけの御理解ではなくて、ネ 信者全部の人達が、この中から教祖が教えようとしてある精神を汲み取り、頂いていかなければならんなあと感じるのですね、
どうぞ。